日常を変えるトップの決断意識改革で新しい価値創造
北川正恭 氏新しい日本をつくる国民会議共同代表早稲田大学大学院教授 (元三重県知事)
多くの企業が株主総会を迎え、企業トップの交代発表が相次いでいる。一方政界も自民党総裁選が早くも過熱気味だ。景気回復が本格化する中、昨年度の企業決算では、革新に成功し業績を大幅に伸ばす企業と、市場の変化に乗り遅れ失速した企業で明暗が分かれた。また様々な改革によって格差が生まれ、社会問題化しつつある。こうした状況の下、企業トップに求められる資質と変わり行く日本の政治について、「新しい日本をつくる国民会議」(21世紀臨調)共同代表の北川正恭早稲田大学大学院教授(元三重県知事)に聞いた。(聞き手は本紙編集長吉越利成) ――長年にわたり政治改革に取り組まれ、総選挙ではマニフェスト運動が大きな影響を及ぼしました。 マニフェスト運動を始めて3年が経ちます。臨調を中心とした十数年前からの政治改革運動で、政治改革は政治家の選び方の問題に帰着するということで、選挙制度を小選挙区制にしていこうということになりました。また、小選挙区制が進んでいくと、やはり地域に自治権を渡していかなければならない。地方分権と小選挙区制は一対のものだからです。それで様々な制度改革が行われて、分権制度、三位一体の改革へと進んでいきました。一方、小選挙区制での4回目の選挙が昨年の9月11日に行われて、だいぶ変化してきたことは、制度を改革することで必然的に社会に変化が起きてきたということです。 私たちはこれを経験して、今度は選挙制度の中で、理論と実践を兼ねて選挙の中の公約に絞って運動を始めたのがマニフェスト運動でした。 3年前は知事をしていたので、知事の仲間の皆さんに選挙の後、検証可能な体系だった数値の入った約束、いわゆるマニフェストで選挙をしてくれませんかとお願いをして、多くの知事候補の方に導入していただいた。それがきっかけで半年後に行われた総選挙がマニフェスト型選挙になった。そしてその年の流行語大賞にマニフェストが輝いて、普及し始めました。 ここで1ついえることは、地域から変えていく分権運動の1つが、実はマニフェストで、国よりも地域に火がついて総選挙になった。 現在、マニフェストは3年を経過して一般通用語になりましたが、いま私どもは立案、作成、検証というレベルまできて質的な充実という次のバージョンにいく段階だと思っていす。 どのように変わってきたかといいますと、合併特例法で合併による地方の首長選挙が多数ありましたが、マニフェストで「お願い」から「約束へ」と選挙が変わりました。これは大きな変化だと思います。これまでのように「土下座してでも」とか「お願いします」というやり方では、有権者との間に貸し借りができる。みんなの代表というよりは、「お願いされてしまって」というイメージが残るでしょう。みんなの代表というのは、本当は「出たい人」よりも「出したい人」ですよ。こういうところに気がつき、政策の選択によって、その契約書を見て中身で投票するという選挙に変わってきています。 宮城の知事選挙、総選挙、仙台の市長選挙の3つの選挙をある新聞社とマニフェスト研究所で徹底的に分析しましたら、3つの選挙とも60%以上がマニフェストを中心に投票するというように変わってきている。人柄、地縁血縁よりもはるかに高くなっています。そういう変化が起きてきて、有権者は賢くて、お情け頂戴型のことではなしに、政策を中心に選択をし始めているという段階になっています。 有権者も、あれもこれも政治に頼っても、できないということが分かってきている。あれかこれかの選択のときに、どちらかを選択したらどちらかが削られる、ということが分かってきています。 選挙民の見る眼も厳しくなってきてますし、賢くなってきています。ですから政治家が早くそこに気づくように努力しています。 ――自民党の総裁選挙が過熱してきています。 自民党、民主党も、いずれにしても党首を選ばなければいけない。総裁選、代表選では、是非、派閥の数だとかそういうことではなしに、政策を前面に打ち出して、国民注視のもとでマニフェスト型の党首選挙をやるようにしてほしい。臨調でも政党に説明をし、働きかけておりますのでそうなってくると思っています。 もう1つは、いままでの公約は支持者には見せたくても、一般有権者にはあまり見せたがらなかったものなんです。マニフェストも3年やってきますと“見えざる神の手”といいますか、これが有効だと思うと、これまでの公約は白黒で文字が並んでいるくらいのものだったものが、写真になり、カラーになり、絵本になり、分かりやすく焦点を絞ってきました。マニフェストそのものがすごく進化しています。直接有権者に是非読んで頂きたいということで、数値が入ったり、工程表が入ったり、ずいぶん具体的になってきました。マニフェストを見せようという努力が、マニフェスト運動によって変わってきた。そすると政治の文化、選挙の文化が変わってくるといえます。意思決定の仕方、日本の政治のあり方が大分変わってきます。 ――小泉改革で様々な格差が社会問題化しています。 格差とみるか、独自性とみるかという違いはあると思います。しかし、やはり政治は、いいところを伸ばすというところと、それに参加できない人たちをどう幸せに生きるようにしていくかということを考えなければなりません。最大多数の最大幸福ということですから、為政者は丁寧にやらなければなりませんね。私は定年制とか年金生活という言葉さえ無くそうと思っています。定年というのは、60歳過ぎたら経済活動ができないという経済活動中心の思想です。それを外れたら定年というのは本当に失礼な話で、これは格差を生むと思います。年金生活者というのは、「あなた方は余剰人員よ」というイメージです。だから保障という言葉になる。老いも若きも尊敬されたり、一緒にともに生きよう、あるいは障害がある人もバリアフリーでともに生きよう、というのが社会ですから、独自性はあったとしても、パブリックな努力で解消しようということが必要だと思います。 都市と地方の格差もあります。地方が豊かになるためには、絶対に分権社会を作らなければならない。60年間の中央集権で人・もの・金が全部東京に集中してしまい、経営資源が偏っています。これは戦後のシステムがなせる業といえると思います。だから分権して北海道には北海道に合った政策、沖縄には沖縄に合った政策で、本当に自立しないといけない。一律に中央省庁が一括統制するのは、キャッチアップの時代はよかったんですが、成熟した社会ではみんながそれぞれ自己決定・自己責任を取れるという体制そのものを作っていかないと、本当の格差は解消しません。 地域独自の産業政策なり観光政策を遂行できるということが大事です。国の役割と地域の役割を明確に役割分担するというのが地方分権なんですが、まだまだ各省庁が既得権で天下りをしたり、いちいち指図していますが、これでは地方は絶対に育たない。 他人のお金で仕事をするというのが中央集権なんです。地方分権は自分のお金で自分のために使うということです。ところがいままでは補助金とか交付金は人のお金だから、国に対して説明責任があっても、主権者に対しては説明責任がない。これが774兆円という国の赤字になっているんです。これも制度がもたらした歪だと思うんですよ。 財源の問題も、いまある税制を前提とすれば、やはり地域は弱い。ですから税制そのものも、全部作り直すべきです。新しい社会をつくるためには既存の制度は、無くすものは無くした方がいいでしょう。これは明治維新以上の大変革だと思うんですよ。 ――三重県知事時代は様々な改革、革新を実行されました。 もともと職員には、倫理観や使命感はかなり高いものがあるんですね。けれども中央集権で情報非公開、管理型という内向きの発想しかなかったのです。それで私は職員の「立ち位置」を考える話し合いをした。変えていく一番の手法はダイアローグ(対話)でした。ディベートではなく、お互い意見交換をして納得するまで話し合いました。それでどう立ち位置が変わったかというと、先ほど話したように国に対して説明責任を果たすのではなく、自分たちで意思決定して、主権者である160万県民に説明責任を果たそうということになりました。どんなに意識改革をしても根本が違っていてはうまくいきません。「情報は非公開」から「情報は公開」へ。このコンセプトを私は「生活者起点」といっています。キーコンセプトはこの生活者起点。行政を進めていく上でのキーワードは情報公開でした。この2つで職員の意識改革を本物にして、職員個人の意識改革を県庁全体の仕組みとか組織改革につなげ、最終的に県政全体の改革を行いました。言い方をかえると、一人称で話せる職員にするということです。「国がこんな考えですから」「知事がこんな考えですから」というのは、すべて「私は責任を取りませんよ」という自己保身なんです。だから「私はこうします」「私の考えはこうです」と主権者に言えるような努力を促しました。重要なことは自己決定、自己責任でお互いが響きあうことです。 組織は命令・監督ということでやらなければならいところがありますが、それに凝り固まったらいけません。これとこれをやりなさいと言われ、やらされ感は残るが職務だからやらなければならない。でもこれは残さなければならないものなんですね。もう1つは指揮・命令・監督とは別に新しい価値創造、つまり共鳴・共振・感動・ネットワークというものを官の組織の中に入れたかったんです。組織をフラットにするとか、ミッション・オリエンテッドで仕事をするとか。自分たちの内発的な自覚としてみんなの共鳴、みんなのネットワーク、感動というものをベストミックスしていかないと新しい価値は創造されていかないんです。 地方自治体は60年間ヘッドクオーターの中央の言いなりでオペレーションという執行だけやらされてきた。この基本的な立ち位置を変えない限り、地方は絶対だめになる。60年間やってきて、本当にどこが栄えたといえますか? 北海道や沖縄、九州は栄えましたか? 国を責めることはいともたやすいことです。「他責文化」、いわゆる他人に責任を転嫁する文化はやめて、「自責文化」、自分で先頭に立って変えていこうとする文化が共感を呼んで次から次へとハレーションが起こって組織文化を変えていくものなのです。 ――改革、革新に求められる人材とは? また変化の激しい環境の下でトップリーダーの資質とは何でしょう。 組織の中で上司がちっとも分かってくれないという状況でも、やはり努力はしなければなりません。これは日々の日常の努力といっていいでしょうね。これはトップリーダーもマネージャークラスも当然やらなければいけないことです。そういう連続の中でトップリーダーの仕事は、非日常の決断が要るんだと思います。先ほど申し上げたように三重県知事時代でも日常の職員は「中央集権」「情報は非公開」という中で努力はしてきたつもりなんですね。私はそれも努力しましょうと。一方で立ち位置を変えて、非日常の「分権」でいこう、情報は公開、自己決定でいこうという立ち位置に変えました。これができるのはトップリーダーだけなんです。 改革、革新は優れたリーダーからでることが多いんですが、しかし一旦気づくとごく普通の人も改革者になるんですよ。そして、ごく普通の人も改革者になりえたら、常識に変わるだけの話なんです。もし江戸時代にみんなが住んでいたら、江戸時代のことが正しいという文化になっているんです。散切り頭に刈って、外国と戦ったらダメだったということと同じように、戦後60年間、こんなものだという思い込みでやってきたんですが、ITがもたらした大変革で、時間がなくなり、資本主義も社会主義も終わり、ポストモダンという新しい価値がでてきた。 例えば選挙でも「地盤、看板、鞄」と、世の識者たちはいまだに皆思っているんですよ。地盤は親がやっていたことを継ぐこと、看板は家柄がいいかどうか、鞄はお金があるかどうか、これらは本当は民主主義の敵であるにもかかわらず、そう思い込んでいたでしょう。これを立ち位置を変えて、いや「契約書」でいこうよ、マニフェストでいこうよと。これは気づきの道具です。こういう非日常の決断がトップリーダーの仕事だと思います。 そして特別の人だけではなしに、ごく普通の人までが改革のDNAが植え付けられる。そうすると1つの良循環が起こるんですね。この良循環を起こすこと、これもまたトップリーダーの重要な資質だと考えています。 プロフィル 1944年生まれ。1967年早稲田大学第一商学部卒業。1972年三重県議会議員当選(3期連続)、1983年衆議院議員当選(4期連続)。任期中、文部政務次官を務める。1995年、三重県知事当選(2期連続)。「生活者起点」を掲げ、ゼロベースで事業を評価し、改革を進める「事業評価システム」や情報公開を積極的に進め、地方分権の旗手として活動。達成目標、手段、財源を住民に約束する「マニフェスト」を提言。2期務め、2003年4月に退任。現在、早稲田大学大学院公共経営研究科教授、「新しい日本をつくる国民会議」(21世紀臨調)代表。
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